やったぜ!HONDA F1

本田宗一郎とアイルトンセナ

まずはバトン、F1参戦113戦目にしての初優勝、おめでとう。
Honda F1 Racing Teamのドライバー・ジェンソンバトンが優勝した表彰台に不覚にも涙してしまった。まぁ正直に言えばバトンと言うドライバーが好きで応援していたから、ではない。
F1の表彰台では他のスポーツ競技と同じ様に優勝競技者の出身国国歌が吹奏される。だから今回の場合、ジェンソンバトンの出身国である英国の国歌が吹奏された訳だが、F1場合はそれだけではないのだ。「コンストラクター*1」も、競技者…つまりドライバーと共に表彰されるのだ。もちろん、その国歌も吹奏される。
Honda F1第1期は1964年から1968年までの挑戦で「日本にHondaあり」を知らしめ、1983年からの第2期では「エンジンサプライヤー」としてロータス・ウィリアムズ・マクラーレンで数々の勝利を挙げ、惜しまれつつ1992年にその挑戦に幕を閉じた。そして2000年、待望の第3期の挑戦が始まった。が、周囲の期待とは裏腹に第2期と同様の「エンジンサプライヤー」として参戦であった。Team BAR(ビーエーアール)にエンジンを供給し、同時に車体開発に参加しつつノウハウを学ぶ、と言う手法だった。そして今年、遂にBARがHondaの手に渡り*2、車体開発からチーム運営全てをHondaが行う「コンストラクター」としての参戦となっていて、そのHondaが優勝した。
第1期の終了から39年。数多くの勝利を挙げた第2期終了からは14年。ちなみにその第2期の時はサプライヤーであったので、ピケやセナやプロストなどなどがどれだけ優勝しても日本国国歌が表彰台に響く事はなく、コンストラクターであったロータスマクラーレンの英国国歌が吹奏されていた。つまり---第1期の最後の勝利がいつなのかは知らないが---39年以上F1の表彰台に日本国国歌が響く事はなかったのである。それが今夜、響き渡った。「君が代*3」が吹奏された。
君が代の響く表彰台。これだけならウルウルする程度で済んだであろう。しかし、涙するHondaのスタッフを画面は映し出し、それがキッカケとなって自分の脳裏に今は亡き本田宗一郎氏や、同じく今は亡き自分の永遠の憧れアイルトン・セナがオーバーラップしてしまったからにはもう耐えられなかった。彼らの望んだシチュエーションだ…。…宗一郎さん、アイルトン…見えますか?聴こえますか?

*1:まぁ簡単にいえば、チームかな。

*2:この辺の詳しい事は勉強不足w

*3:君が代は国歌じゃない、とか言う話はおいておいて